設立前
1986年
天城スポーツクラブが活動開始
スポーツに馴染めない子と子ども会組織のない地区の子供を対象
ユニホック1式、チュックボール1式を市教委より貸与
学区の子ども会では男子はソフトボール、女子はフットベースボールを行っていた。
子ども会のスポーツ活動に馴染めない子供のために天城キリスト教会をお借りしてゲームや
本読み、花づくりをしていた時、ユニホックを中心に活動していた『倉敷市少年スポーツクラブ連合』の
話を聞き、学区全体のスポーツに馴染めない子供たちの活動を旗揚げ
ユニホックはスポーツになじめない子のハートに染み込んでいきました。
スポーツの機会に恵まれなかった子供たちはユニホックの面白さに夢中になりました。
指導者も上達の早い子に目が行き、クラブ本来のスポーツに馴染めないこの活動が疎かになっていきました。
当初お世話をする大人が5人程度いましたが、やがて1人で面倒を見ることになり、両方に目が届かなくなりました。
この反省から多種目を同じ場所で同時に行い、子供たちが自分の好きな種目行う方式をとることにしました。
そのためレベルにあったスポーツ種目を少しづつ購入していきました。
チュックボールはスポーツの苦手な子に好評でしたが、小学生では真髄を理解するところまでいきませんでした。
1990年
天城ニュースポーツクラブ誕生
30〜40の子供を一人で見ることが苦痛となってきたので、指導者の確保を目的にニュースポーツ教室を開催
指導者確保という目的は果たせなっかたが、参加者より教室の継続を希望する声がでる。
大人のニュースポーツ団体『天城ニュースポーツクラブ』が誕生
当初の活動種目はユニホック、チュックボール、SVB、インディアカ、ラージボール卓球、ラケットテニス
体育館の利用状態−−−南端=SVB、中央=BT、北端=ラケットテニス(インディアカ) 隅=ラージボール卓球
定期的活動場所の確保(水曜日)ができるに従い、種目の特化が進行⇒種目中心の集まりができる。
ラージボール卓球を中心に置いた『マスカットクラブ』の発足
バウンドテニスの『バウンドテニス天城』が独立
1991年
文部省の補助事業である『地域スポーツクラブ連合育成事業』に指定される
助成金 年間300万円 助成期間 2年(1年延長される)
助成金の使途は厳重に決められていたが、重点政策を用具購入とし、指導者謝金を全額クラブに寄付
方針に則した事業展開⇒ニュースポーツクラブ中心
1991天城スポーツクラブ連合設立総会
1991天城スポーツクラブ連合設立記念ニュースポーツフェスティバル
1991年11月1日 『スポーツライフ”91天城』の設立
活動日が月曜日と水曜日の2日間確保できたことで、クラブの独自性がより増して来る。
やがて、金曜日も確保でき、複数種目に参加している会員もかなりいたが、
時とともに、それぞれの団体が各自会費を徴収するようになる。
天城ニュースポーツクラブも多種目型からSVB中心の活動に変質
単種目競技指向型チームへの活動を防止するために3団体の統合を決定
(同じ教室から発生し、同じ時間に体育館を分け合って活動を開始した仲間であり統合に抵抗はない)
ヨーロッパ型のスポーツクラブを目標に掲げる。
(独自の体育施設を持つゴルフクラブのようなクラブを目指す)
既存のスポーツ団体に多種目多世代型スポーツクラブの活動が理解できないことを考慮して
体育施設利用団体としては3団体を名目上残す
多くの会員を要する活動的組織ができたため、1991天城スポーツクラブ連合の事業は
『SL’91天城』を中心とした事業となる。
1991天城スポーツクラブ連合は既存のスポーツ団体や地域の団体に連合事業の説明会を2〜3度して
発足したが、説明が十分に徹底していなかったので、計画していた活動展開が十分できなかった。
(既存団体は理解不足・不勉強・興味なし=当方の説明不足=もう少し時間をかけた方がよかった。)